「海景」杉本博司
杉本博司作品を見た。
「現代美術のハードコアは実は世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクション」より
国立近代美術館にて
ヤゲオ財団コレクションを初めて知ったが、現代美術を幅広く収集していて見応えがあった。
現代美術と言ってもザオ・ウーキー、アンディ・ウォーホルなど抽象表現主義やポップアートといった1950〜60年代といった作品から、近年注目されている写真家アンドレアス・グルスキーの巨大なデジタル写真もあった。
美術館入り口の屋外に大きな白いケイト・モスが、展示の最後の部屋に小さな金色のケイト・モスのヨガとも取れる曲芸のようなポーズをした彫刻があり、これはいったいどんな意図があるのだろう?
白はいろんな未来をもった素材的な感じを強く受け、金色は小さく宝として磨かれたような、コレクションとしても高価なものであるようだった。
中盤くらいに杉本博司の「海景」のシリーズがマーク・ロスコやゲルハルト・リヒターの作品と同じ部屋に展示されていた。
水平線が写し出されている画面上には大きくみたら水平線で分けられた空と海ということばだけであるが、近づいてじっくりみると海や空のディテールがよく見えた。うち寄せる波の豊かな表情があり、いつまでも見飽きない。全体がミニマリズムのようであり、部分はそれぞれ自立している。自然そのもののようでもある。
特別な風景ではないが、誰の記憶にもあるような風景。デジャヴというよりもっともっと深い記憶のように思う。
杉本博司は「古の人が見ていたのと変わらぬ風景」を撮りたいと言っている。この写真にはその時代から撮影したまでの時間が写っているようだ。もしかしたら今現在、あるいは未来の時間までもが含まれているのかもしれない。
銀塩の印画紙の粒子の陰影から立ち上がってくるのは、静かな夕暮れの海で遠い波音だけが聞こえるような、見えているものの音が聞こえないような情景だ。
この写真の波は動いていないように見える。1葉の静止画であるから当然であるが、実際の海でも波が動いていないように見えるときがある。そのような時間の感覚がなくなる、過去とも未来とも分からない時間が写っている写真である。一瞬をとらえた1葉の写真であるが故に時間を過去と未来の間を行き来することが出来るのかもしれない。