庭にあらわれる雑草たちの由来 II
2020年はコロナ渦で想像もしない1年となり、気がつくとあと2ヶ月もなく来年を迎えることになっていた。そんな時にも庭のヤブマメとヤブカラシは晩秋とばかりに美しい緑から黄色へのグラデーションを見せている。
▲サルスベリの枝から下がるヤブマメ
今年の夏には懐かしい青い花が庭一面に広がっていた。
久しぶりに見たこの花は、大きな青い花弁2枚に、下にある残り1枚は白い花弁で目立たない。ふっくらと手を合わせたような包の中にできた蕾から花が開いている。先が尖った包に包まれた花や種(タネ)の姿は美しい。黄色い花粉がいくつかのしべの先について、雄しべが長く伸びている特徴的な花形だ。花の青と花粉の黄色は鮮やかなコントラストだ。
朝咲いて昼には萎むことから朝露のイメージで露草(ツユクサ)という和名がつけられたそうだ。儚さを感じる趣とは異にして、万葉の時代から繋がってきたその繁殖力は旺盛で、家の庭にもあっという間に蔓延った。
熱海に住む知り合いは今年トキワツユクサ(白花)が庭に広がったと言っていた。茎が柔らかいため、抜こうとして途中で折れて逆に広がったとのことだ。
ツユクサは地下にも種ができて増える種があるとTVで話しているのを聞いた。地下10cmに埋まった種でも発芽するそうだ。
柔らかい茎で人の背丈まで伸びない草でも、茎が四方に広がったり、多くの種(タネ)をばらまくことによって増殖していくさまには、状況を読んで生き延びる植物の底知れないしなやかさを感じる。
『植物は<知性>を持っている』という本をステファノ・マングーゾとアレッサンドロ・ビオラ他が書いているが、まさにそう感じて怖い気もする。
晩秋11月にヤブマメの美しい黄色に映えていたのが、エノコログサとイノコヅチだった。
秋に色が深まってきたらエノコログサはムラサキエノコログサの様に見えてきた。イノコヅチは目立つところに生えていたためヒナタイノコヅチという種かもしれないと思え、それぞれの個性が際立ってきた。「植物の枯れた姿も好き」という偉大な造園家ピート・オウドルフの言葉を思い出す。
ツユクサはエノコログサの足本で、既に茶色く枯れていた。ヤブカラシとカニクサ(しだ?)はいつも通りの緑だ。
その種類の多さにとまどい、正確な草の名前は私には到底判明しない。人もそれぞれ、名前があるように、植物1本1本に名前があっても良いと考えると気が遠くなるが、植物の戸籍?と考えるとおもしろい。
人口よりもはるかに多く数えきれない個体数の植物。人口減少や、コロナウイルスによる自粛で外出を控えるなどという問題を抱える人間界をよそに、暦に合わせて粛々と姿を変え地球を彩っている植物について、改めてもっと大切に考える必要があるように感じる。
植物は放っておくと地球を覆い尽くすだろう。そんな植物と人間社会の関わりを保ちつつ、適切な繁殖を考えるとしたら、地球環境を適切に保持するということに行き着くのだろう。
昨年の春、庭に絨毯のように広がっていたスギナは、今年猛威を振るった雑草に隠れるように残り、落ち武者のようだった。