yamayama_photo日記

心に残るよしなしごとを写真とともに書きとめる草ログ

アーティストの「不在」マーク・マンダース

「マーク・マンダース —マーク・マンダースの不在」は東京都現代美術館で開催された。2021年3月20日(土・祝)からの会期は途中緊急事態宣言により休館し、6月に入って再開され、22日(火)まで会期延長された。

 

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もちろん、コロナ禍でアーティストは来日できなかった。
展覧会タイトルは「マーク・マンダース —マーク・マンダースの不在」という、現状を表していたが、途中休館なども含めて、なんとなく納得と同時にこの状況までもが作品の一部と感じられてしまった。

 

マーク・マンダースは「建物としての自画像」という構想に沿って作品制作を続けているそうだ。今回は展示の全体を「想像の建物」のインスタレーションで、架空のアーティストを表すひとつの作品として展開している。

作品は大小の彫像やオブジェ、ドローイング、インスタレーション、架空の新聞までもが、薄い半透明のビニールで仕切られた、アトリエ風の空間に展示されていた。
このビニールが作品を創造した力量と不似合いの質感で、作品はまだアトリエに置かれた未完成、あるいは完成後に崩壊したようにも感じさせた。
その未完成の感じは緻密な計画の上で導き出されたもので、それぞれの作品が緊張感を持ち、作品自体というよりも空間や関係性がより精緻さを伝えてくるようだった。

 

私はアトリエでの制作中の風景が好きなことを思い出した。

この展示でも完成された作品が創造されるようでいながら、その未来の調和の取れた作品を断定しないような、作家の思い、進行している行為が感じられた。私はそのアトリエに居合わせることができたようだ。

そうしたアトリエで作品の行方を楽しむことが好きなのだと思う。

 

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「マーク・マンダース —マーク・マンダースの不在」

 東京都現代美術館

 2021年3月20日(土・祝)ー6月22日(火)

 

 

 

 

コロナウイルス禍の新年を迎えて

2020年からずっと世界中を震撼させている新型コロナウイルスCOVID_19パンデミックは、2021の新年も関係なく猛威を奮っている。


新年の休み明けの1月8日から2月7日に2度目の非常事態宣言が発令された。特に医療逼迫が大きな壁となり、コロナウイルスの変異も進んでいるようでもある。2度目の非常事態宣言ということで、国民の感覚は慣れと緩みがあることは感じられる。今回の規制についても前回とはだいぶ違っている。

例年の年末年始の動きを控え、年末年始の休業時の自粛をしていたものとしては、すっきり感染者数が減少することを望んだが、減ってはいるようだが、重症患者など増えているらしい。

 

政府は初詣は三が日を避けて延期したり、帰省は控える様にと要請していて、近所の小さな神社の新年の様子はとても寂しいものだった。

賽銭箱は出されず、鈴の紐は天井に巻き付けられていた。お賽銭は除菌がし難いし、鈴も紐を振って鳴らせばウイルスを巻き上げるということなのだろう。照明はつけられていたけれど、例年新年が明けると振舞われる甘酒が準備されないどころか、小さな神社のためか関係者は見かけなかった(小さな拝殿の中にはどなたかいたようだが)。

いつも楽しげに神社へ向かう人々も少なく、とても静かに歩いていた。気がつけば、除夜の鐘も聞こえなかったように思う。

 

昨年の新年1月には想像すらできなかった事態が、あっという間に広がり4月初めには1回目の非常事態宣言が発令された。それも、日本だけでなく、世界中が同じウイルスの恐怖下に置かれたのだ。グローバル化が叫ばれ、経済もそれがなくなったら立ち行かない関係になっている現代に、そのグローバル化が逆に仇となり、海外との移動も規制されている。

 

国連の主要開発機関のUNDPはこの危機の原因について次のように言っている。

〜〜「『普通』の状態に戻す」ということは、単純に実現不可能となりました。なぜなら、その「普通」だと考えられていたことこそが、この危機を招いたからです。 この危機は、私たちが他者や地球とどれほど深くつながっているかを示しています。〜〜

新型コロナウイルスとSDGs | UNDP

 

私たちは新しい生き方を得ることができるのだろうか。この状況をできる限り早く解消するために、一刻も早く多方面で考え直すことが必要だと思う。それはとてもとても大変なことだと思うし、多くの人がまだ本当のところ気付いていないように思う。

 

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初参りをする人々は質素で静かな境内で、ソーシャルディスタンスをとって並んでいた

拝殿前の机にはアルコール消毒液が置かれていた

 

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2020年大晦日から元旦にかけて明るい月がでていた 元旦の朝には雲が晴れて晴天となった 今年が明るい年となる兆しであれと願う

 

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晴れた元旦に、ふっくらした雀たちが枝に群れてにぎやかだった

 

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今年も福寿草が芽を出した

 


 

 

 

 

ゆっくりいただく蔵つき麹のパン

立冬の候にしては暖かくなった午後、鎌倉の常盤山あたりの谷戸蔵つき麹の発酵種から生まれるパンと、自然栽培野菜のスープをいただいた。

 

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鎌倉駅から3つ目の隧道を抜けると少し開けた景色になり、とても静かで自然に囲まれているのを急に感じる。右手には北条氏常盤邸跡という遺跡があり、鎌倉文化の栄華を残す地でもある。

Natural Bread & Vigan Cafe「kamakura 24sekki」はこの常盤の地にたたずんでいる。

 

店主は仕事に明け暮れる生活を根本的に変えようと、身体と健康の関係を重視し野菜や穀物の食生活の研究を始めた。その一環として修業した古式製法でつくる天然麹からパンを作るベーカリーと出会い、そこで自分もこういうパンを焼きたい、カフェをやりたいとの思いが湧いたという。

食と心身の深いつながりを実感した経験から、その思いをかたちにすべくこのベーカリーカフェkamakura 24sekkiを開き、季節のめぐりの中で自然のめぐみをたっぷり受けたいのちをいただくパンと食べ物を提供している。天然の自家製酵母による丁寧な時間のかけ方に店主の意志が伝わってくる。

ふと普通のパン屋さんと匂いがまったく違うと気がついた。パン屋さんの近くに行くと漂ってくる、そそられるような香り高いイーストの匂いがまったくない。自然の中で呼吸している蔵つき麹発酵種のためだと言うことだった。

 

ここでいただいた「ベジサンドイッチ」と「自然栽培やさいのスープ」は、こだわり抜いた素材と製法からできているため、どちらも滋養に富むという言葉が久しぶりに湧き出て実感した。素材の力がそのまま包まれ、鮮やかでおしゃれな見た目とことなるヘビィな食べごごちだった。サンドイッチは全部食べれなくて半分お持ち帰りの人もいると言う。

 

店主が大工さんと一緒にリノベーションを手がけた店内は、木肌が柔らかい空間だ。窓が大きくて季節のめぐりを知らせる外の風景も美しい。ひそやかに聞こえるジャズも空間の一部になり、店内を流れていた。

 

食べ物が体の中から力をくれ

谷戸という場が体の外から力をくれるこの空間は

何かに包まれているような感触がして、全身で安心を感じるようだった。

 

この命を育むような心地よい場にもっといたくなり、たんぽぽのコーヒーを注文し、ゆっくりいただいた。 

命を大切に考えて信じた方法でしっかりとつくられた食べ物や空間は

決してあわてて味わうことができない。

いつの間にかこちらも丁寧にきちんと受け止めようとしていた。 

 

どのくらいの時間ここにいたのだろうか。

とても充実した気持ちになった。

 

f:id:yokoyamazaki:20201120135426j:plain▲大きな窓と木肌が優しい店内には穏やかに空気が流れる

f:id:yokoyamazaki:20201120135409j:plain▲窓から小さな紫の秋の花が咲く庭が見える

f:id:yokoyamazaki:20201120142733j:plain▲見上げて愛でる皇帝ダリアが鎌倉の庭に多く見られた

f:id:yokoyamazaki:20201120131527j:plain▲周囲の低山の合間の畑

f:id:yokoyamazaki:20201120131145j:plain鎌倉駅から二つ目の長谷隧道

 

*デジタル朝日新聞 &W「鎌倉から、物語。」を一部 参考にしています。

https://www.asahi.com/and_w/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭にあらわれる雑草たちの由来 II

2020年はコロナ渦で想像もしない1年となり、気がつくとあと2ヶ月もなく来年を迎えることになっていた。そんな時にも庭のヤブマメとヤブカラシは晩秋とばかりに美しい緑から黄色へのグラデーションを見せている。

 

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f:id:yokoyamazaki:20201109140242j:plainサルスベリの枝から下がるヤブマメ

 

今年の夏には懐かしい青い花が庭一面に広がっていた。

久しぶりに見たこの花は、大きな青い花弁2枚に、下にある残り1枚は白い花弁で目立たない。ふっくらと手を合わせたような包の中にできた蕾から花が開いている。先が尖った包に包まれた花や種(タネ)の姿は美しい。黄色い花粉がいくつかのしべの先について、雄しべが長く伸びている特徴的な花形だ。花の青と花粉の黄色は鮮やかなコントラストだ。

朝咲いて昼には萎むことから朝露のイメージで露草(ツユクサ)という和名がつけられたそうだ。儚さを感じる趣とは異にして、万葉の時代から繋がってきたその繁殖力は旺盛で、家の庭にもあっという間に蔓延った。

熱海に住む知り合いは今年トキワツユクサ(白花)が庭に広がったと言っていた。茎が柔らかいため、抜こうとして途中で折れて逆に広がったとのことだ。

ツユクサは地下にも種ができて増える種があるとTVで話しているのを聞いた。地下10cmに埋まった種でも発芽するそうだ。 

柔らかい茎で人の背丈まで伸びない草でも、茎が四方に広がったり、多くの種(タネ)をばらまくことによって増殖していくさまには、状況を読んで生き延びる植物の底知れないしなやかさを感じる。

『植物は<知性>を持っている』という本をステファノ・マングーゾとアレッサンドロ・ビオラ他が書いているが、まさにそう感じて怖い気もする。

 

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晩秋11月にヤブマメの美しい黄色に映えていたのが、エノコログサとイノコヅチだった。

秋に色が深まってきたらエノコログサはムラサキエノコログサの様に見えてきた。イノコヅチは目立つところに生えていたためヒナタイノコヅチという種かもしれないと思え、それぞれの個性が際立ってきた。「植物の枯れた姿も好き」という偉大な造園家ピート・オウドルフの言葉を思い出す。

ツユクサエノコログサの足本で、既に茶色く枯れていた。ヤブカラシとカニクサ(しだ?)はいつも通りの緑だ。

 

その種類の多さにとまどい、正確な草の名前は私には到底判明しない。人もそれぞれ、名前があるように、植物1本1本に名前があっても良いと考えると気が遠くなるが、植物の戸籍?と考えるとおもしろい。

人口よりもはるかに多く数えきれない個体数の植物。人口減少や、コロナウイルスによる自粛で外出を控えるなどという問題を抱える人間界をよそに、暦に合わせて粛々と姿を変え地球を彩っている植物について、改めてもっと大切に考える必要があるように感じる。

植物は放っておくと地球を覆い尽くすだろう。そんな植物と人間社会の関わりを保ちつつ、適切な繁殖を考えるとしたら、地球環境を適切に保持するということに行き着くのだろう。

 

昨年の春、庭に絨毯のように広がっていたスギナは、今年猛威を振るった雑草に隠れるように残り、落ち武者のようだった。

 

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絵本『みんながヒーロー』で子どもたちに伝えるコロナに負けない生活

新型コロナウイルス感染の収束がはっきり見えない現在、多くの人が困窮し、不安を抱いている。これは子どもたちも同様で、不安やストレスは大人以上かもしれない。

コロナの怖さや状況を大人は了解していても、子どもたちは急に外に出て遊んでは行けないとか、小学校が休校となり友だちと会えないなど、詳しい説明もなく大人の言うことを聞かざるを得ない状況になりがちではないだろうか。

 

そんな世界中の子どもたちのメンタルヘルスを考えた絵本『みんながヒーロー』が、国連の機関間常設委員会レファレンス・グループ(IASC MHPSS RG)」のプロジェクトにより制作された。

 

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新型コロナウイルス感染症の流行が続く中での、子どもたちのメンタルヘルスおよび心理社会的ニーズを評価するため、アラビア語、英語、イタリア語、フランス語、スペイン語で世界的な調査が実施され、その調査結果からこのストーリーが展開された。

現在は多言語に翻訳され、「機関間常設委員会(IASC)」のサイトなどで公開されている。         (*リンクは文章最後参照)

 

コロナ禍の104カ国に及ぶ1,700人以上の子どもや、保護者、教員に新型コロナウイルス感染症との向き合い方についての声を聞いたことにより、コロナ禍の子どもの生活が分かりやすく描かれ、国や文化、社会背景などの違いによる状況の理解も深められるようなインクルージョンなストーリーになっている。

また、世界中の子に自分を守る方法を教え、教えられたその子もまた他の人を守れるようにという優しさに溢れ、つらさにも耐えるような子どもへのエールが感じられるストーリーだ。

 

ただし、日本語版では注意する点がある。感染予防のための基準は英語原書では世界保健機関(WHO)の指針に沿っているため、翻訳された日本語版でも人との距離については「“少なくとも”1メートル」となっており、ほかに咳の仕方などにしても日本の基準とは異なっている。日本の子どもたちにはより安全策の日本基準を、分かりやすく説明することが必要となる。

そのため、この絵本は保護者あるいは先生などの大人が子どもたちをサポートして、一人または少人数のお子さんに読み聞かせをするように、あるいは一緒に読んでいくようにすすめられている。

 

こういった多国籍の人々を対象にした絵本が緊急に作成され、あっという間に世界中に配信されたことは、本当に心強い。また、読み方についての注意があることも子供の本には大切なことだ。 

 

フィリッポ・グランディ国連難民高等弁務官が次のように言っている言葉が印象的だ。

「この世界のすべての人を守る対策を考えなければ、誰も守ることができません」

新型コロナウイルスを機にインクルージョンな世界を広げられるチャンスでもあると思う。

 

My Hero is You, Storybook for Children on COVID-19 | IASC (英語ページ・多言語ファイルのリンク)

みんながヒーロー(日本語版)

 

贅沢で穏やか

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1月末に閉店した東高円寺の喫茶[e]は、店主の温かい心とクリエイティビティを感じるカフェだった。

手づくりの空間は古道具の不揃いなテーブルと椅子、切りっぱなしの布のカーテンやクロス類、画用紙の手書きのメニューなど、どれ一つとっても押し付けがましくなくこだわりを感じるインテリアや食器類が、穏やかな空間を創り出していた。楽しみの一つには、店主が一面の壁にブルーが印象的な抽象画を描き続けていたことだ。閉店の次の日には白く塗り直してしまったようだけれど。

一歩店に入ると侵しがたい懐かしさ溢れる空気が充満していた。そこで古い家具は店主のクリエイティビティに彩られ、今を感じる新鮮な空気の中で息づいていた。いつの間にか、時間を感じる天板の色味や、ちょっとした造作を見て辿るようになり、こんなこともアンティークの楽しみ方の一つなのだと気づかされた。

行ったことのないたくさんの国からこだわりのコーヒーのセレクトが揃い、お客さまから見えるテーブルでその人のために一杯のコーヒーを入れていた。

店主はお茶をゆっくり楽しむって贅沢なことだと言っていた。

私はここで何度も生き返った。

 

最近、美味しいコーヒーの穏やかな空気の店に出会うことが増えてきた。

どこも店主のこだわりと愛情が感じられ、そこに行きたくなる心地の良い空間だ。好きなコーヒーと共に空間を選び、ゆっくりとコーヒーを飲み、人間らしく息をする贅沢に身を委ねることができる。

食べ物を味わうときに香りも重要な要素であることにしばしば気がつくが、一般的に情報を取り入れる器官のうち、嗅覚は3.5%を占めていて五感の中では3番目の感覚である。味覚は1%と5番目だ。香り高いということは、コーヒーを味わう時に、主となる味覚以上に他の器官も使う。香り高い飲み物を飲むことは五感をフルに使って味わう贅沢な空間だと改めて感じる。

 

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サイアノタイプ ワークショップで小学生からの本質的な質問に考えた

 

先日、展覧会の関連イベントで「サイアノタイプ 」のワークショップを行った。

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「サイアノタイプ 」は青写真あるいは日光写真とも言われる。塩化銀が日光で化学変化し群青色の画像が現れるのを利用した、写真の古典技法の一つだ。

このときは印画紙の上に直接ものを置いてそのシルエットなどを表すフォトグラムの方式で、絵を作った。

紙に薬剤を塗って印画紙作成、乾燥時間にモチーフとなる植物などを探し、印画紙上にモチーフを置いて太陽による露光、水現像、過酸化水素水での仕上げ浴、乾燥、発表という手順。

 

開始前に露光時間を計測するためテスト露光をしていたら、ずいぶんと早くワークショップ参加者の小学生が親御さんとともに会場へ入ってきた。

 

以下小学生と私の会話...

小学生「何してるの?」 

わたし「今日やる日光写真のテスト中です。」

小学生「え〜、なんでそんなことするの?」

わたし「え、なんでだろうねえ?」

 

サイアノタイプ の露光は太陽光を使う。そのため、自然の恩恵に感謝しながら、刻々と変わる陽の光をしっかりと確認することが必要だ。参加者に「今日の太陽の状況で場所を決め、時間は印画紙の様子を見ながら」と説明して露光を始めた。

小学生「これって、太陽より紫外線の光源使った方が早いんじゃない?」

わたし「そうだね。でも、今日は天気が良いし、昔の技法をやってみて、自然の光を借りてどんなふうにできるか、体験してみようというワークショップだからね。今日は太陽の光でやってみよう!」

 

最後の仕上げ浴には一般的にはオキシドールと言う過酸化水素水の水溶液を使うと説明したら、

小学生「H2O2だよね!」

 わたし「ああ、化学式だね。よく知っていますねえ。」

小学生「水のH2Oに酸素が増えたものだよ。」

わたし「そう、これは水溶液なので、H2O2です。学校で習ったの?」

・・と聞いたときにはもうどこかへ走っていってしまった。

 

この質問をした子どもは小学4年生だそうだ。

特別に科学が好きなわけではないらしく、親御さんと一緒に展示を見にきてくれていたから、何か見たり、知ったりすることには興味があるのだろう。自分の思いを言葉にしていただけかもしれない。

 

他の参加された高校生や大人に比べると、モチーフの選び方も並べ方も何もかもスピーディーで、興味もこだわりも無いのかと思えたが、始めるとちょっとモチーフが動いてしまっただけでも嘆いていた。

やりたいことがどんどん出てきて、ここはこうしたいと言う意思がはっきりしているのが分かった。うまくいくかどうかを考えるよりも、やってみて結果を見て学んでいくようだと感じた。

大人と違って熟慮はしない、でもその子の中では熟慮と言えるのかもしれない。思い通りに行かないと少し留まっていたけれど、すぐにまた動き出していた。

 

子どもと大人の時間の過ぎる速度の感じ方は、数倍違うときく。子どもは未来の思考のために色々と学んで記憶し、また感動が大きいから時間をめいっぱい長く感じるのだという人もいる。

見ること聞くこと全て、気の遠くなるほど多くの事を体験し記憶しているから、とてもスピーディーになるのだろうか。確かに子どもの成長は目に見えるほど早い。子どもは時間が過ぎる感覚については考えないのではないか。いや、そんなこともない。

時々砂場で、スコップですくった砂を落とす事を繰り返している子どもがいるが、同じ事をしているのではなく、繰り返しの中からいろいろな新しい事を学んでいるといわれている。

生きて行くために識るべき事はキリがないから、子どもには時間が足りないのかも知れない。

 

 

ゆっくり話せなかったが、最初の質問が心に残った。

「なんでそんなことするの?」

そう、用があってではなく自分の思いでものを作ったり、絵を描くことを、なぜ人はするのか?とてもシンプルで、しかし多くの学者やアーティストが考えても一つの答えにいきつかない複雑な問いだ。

そこをもっと考えてワークショップの参加者に伝えなければならなかった。小学生の言葉に大事なことを気づかせてもらった。最後にもっと感想をシェアできたらもっともっとやる意味が深まったかもしれない。ワークショップはそこが面白いところでもある。

 

サイアノタイプは19世紀に天文学者で科学者でもあったジョン・ハーシェル卿が開発した。きっと彼は初めて塩化鉄が紫外線で化学反応をおこし、青に変色するのに気づいたとき、その変化を記憶に残し、皆に見せられるようにしたいと思い研究したのだろう。結果、私たちは美しい青の画像が得られるようになった。

何かできそうだ、やってみたいというざわめきが心の中でわき起こり、思いつき、行動に移し、 何かが出来上がる。こういった回路を通さずに直感的な心と体の動きもあるだろうが、それにしても、人は自分の持つ知識を使い、わきあがる思いを伝えようとその方法を創りだす能力を持っている。本当に奇跡のようである。

 

ところで、親に連れられて参加したとしても、サイアノタイプをやってみた結果、君は楽しかっただろうか?やって見たらいろいろな考えがわきあがってきて、伝えたいと思ったんじゃないだろうか。なんだか楽しそうに見えたよ。

 

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