yamayama_photo日記

心に残るよしなしごとを写真とともに書きとめる草ログ

レッジョエミリアの幼児教育の拠点 Loris Malaguzzi International Centre

保育の先駆的活動を市を挙げて行っているイタリアのエミリア ロマーニャ州、Reggio Emilia市にある〝The Loris Malaguzzi International Centre〟と〝Remida /The Creative Recycling Centre〟を見学してきた。

 

イースター時期の出張の際の訪問であるため、センター主催のstudy tourには参加出来なかったが、センターの担当のアドバイスでじっくり見学が出来た。

このレッジョエミリア市の活動は1991年にニューズウィークで「世界で最も優れた10の学校」にとりあげられてから、日本でも各方面で話題となっている。

 

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第2次大戦直後に戦車などの廃鉄を村の人々で売り教育に充てたことがこの教育方法の始まりということだが、現在は地域の工場などから出る廃棄物も創造的再利用物とし、官民が一体となって教育を行っている人口16万人の市の挑戦である。イタリア人の素晴らしいところだと思うが、これまでには変遷がいろいろあった。しかし働く母親たちの思いが大きな力となったようだ。

またレッジョ・エミリア市はイタリアの中では経済的には安定しており、同じ州には世界最古の大学の一つが生まれたボローニャ市もあり、文化、教育に歴史のある地域と言える。

 

子どもも大人と同じ権利を持ち個々の主体性を尊重する、芸術を柱としたレッジョ・アプローチという教育の理論と実践は、保育士に加え、アトリエスタ(芸術師)、ペタゴジスタ(教育専門家)、その他職員や両親が教育について討議しながら子どもたちの教育を進めている。子どもたちの言葉や行動の記録のドキュメントや言葉かけなども徹底しているようだ。

このセンターではその教育システムの普及、管理、研究を担っている拠点であり、市内の保育園を統括している。直接保育園の運営はしていない。

 


天気がよくなってくると、ロビーの機能を持つ2つの建物をつなぐガラス張りの吹き抜け部分がとても気持ち良く、子どもたちが集い子どもたちの作品が飾られているけれど、子どもっぽさはなく洗練された美しい環境だった。

 

▼創造的再利用センター Remida / The Creative Recycling Centre

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創造的再利用センターのレミダも話しに聞いてはいたものの、地域の工場の廃棄物の再利用のクオリティ、活用度、システムには感心した。ほとんどが地域のボランティアで運営されていて、小さいながらもそこでのワークショップや学校への素材提供を始め、新しいプロダクトも作って販売もしていた。

残念ながら内部は撮影禁止だった。

 

近年、日本でもこの芸術面での教育法を取り入れているところが増えている。しかし、地域の企業、保護者などとの連携をしているレッジョエミリアと同様ではない。

 

イースターの時期で日程があわず、スタディーツアーには参加出来ず勝手に見学したので、見られない箇所もいくつかあり、子どもたちの自主的な動きがどのようなものかその空間に立ち会うことも出来なかったが、素材の与え方、ドキュメントの作り方、子どもたちの作品展示など、自由で深い考えのもとに徹底されていた。

 

▼陽が燦々と降り注ぐセンター内のロビー 右側の中2階はレストラン

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▼子どもたちの作品と制作風景の展示

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▼光のアトリエ展示

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▼紙の作品、素材展示

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▼2階のレストラン入口のディスプレイ

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▼レストランの支払いは何を食べたか申告制

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食育も美食の国イタリアならでは、ショップでは出版資料の他に食材も扱っている

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▼Reggio Emiliaの駅には子どもたちの作品が展示されていた

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▼美しい手すりのある Reggio Emilia 駅のホーム

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原爆の図 丸木美術館の冬

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原爆の図 丸木美術館へ、今年も2月初旬のみぞれ混じりの日に学生引率で訪れた。

学芸員の方が絵の解説をしてくださった際、丸木ご夫妻がこの美術館を作った経緯を話してくださった。

戦後これらの絵が国内外を巡回したあとどこへ行くのか、見たいと思う人がどこへ行ったら見ることが出来るのかということを考え、埼玉県東松山市下唐子へ移り住み、美術館開建設を思いたったということだった。都幾川の丸木美術館周辺は丸木位里氏の故郷、広島の太田川上流の風景に似ていたという。

訪れた冬の時期は木々の葉は落ち草木の色は茶色くなっていたが、夫妻の書斎兼アトリエとして使われていた美術館2階の和室から見える都幾川の風景は静かに美しく、落ち着いた気持ちになる。準備されている炬燵に入ると暖かさがとても優しかった。

展示場には暖房は入っていないため、原爆の図を見ていると身体に力が入り言葉もなくただ見入った。

大きな画面のなかに細かいディテールまでしっかり描き込まれている沢山の人物像を見ると、画家が原爆投下後の広島の惨状をそこまで強く目に焼き付けて来たのだろうと思われた。これらの絵は広島から東京へ戻ってから描いている。凄惨な状況だからこそ印象やイメージでなくリアルに冷静に記憶が残るのではないかという気がした。しかし強いメッセージの中にも1枚の絵として見る視点が出てくるし、素晴らしいと思ってしまうことには一抹の躊躇がある。

 

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丸木美術館の周囲は雑木林や散在する家々の広々した庭も多いが、東京からやや離れた比較的土地に余裕がある丘陵のせいか、廃棄物やセメント置き場になっているところが目に入る。

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原爆の図  丸木美術館

http://www.aya.or.jp/~marukimsn/top/history.html

 

 

 

天気雨の京都で印刷の立ち会いをした

 写真集の印刷立ち会いの付き添いで、京都へ行って来た。

印刷物には今まで沢山携わってきたけれど、実際の印刷立ち会いというのは初めての経験だった。

この印刷会社は美術印刷では名を馳せているサンエムカラー。アンドレアス・グルスキー、松江泰治、北井一夫などなど著明な作家の写真集や美術展の図録、ポスターなどを手掛け、美しいインクののりで、その技術は日本でも右に出るものはないと言われている。

工場はいくつかあり、私が入った工場にはドイツ製のハイデルベルグという印刷機が並んでいた。この大型の機械は手入れが良く美しく光っていた。隣りでは上田義彦氏の写真集にデザイナーが立ち会っていた。そのほか、次々にB1ポスターも出来上がり、並べられていった。

 ちょうど、始まるときに関西弁で作業着をまとった初老の男性が元気に挨拶に来てくれた。この方が伝説の会長の松井勝美氏だ。「この色はこれが自然やでっ!」と言われると納得してしまう勢いだった。

 

裁断前の面付けされた印刷物の周囲に色見本のようなものが印刷されているが、これの部分がインク量の調節をするポイントで、濃さの見本になると初めて知った。経験値が高い技術者の方がこちらの注文に応え、アドバイスをくれてどんどん色が調整されていった。印刷の調子を見るのにもそれなりの照明下で見るので、本当にきれいだった。

なお、この機械の調整をしてくれた方は東京の印刷会社で一番の技術者だった人で、ひきぬかれて京都へ来たそうだ。

技術は色の調整だけでなくいたるところに必要だった。紙送りのために印刷機に紙を揃えて置くことにも技があり、その作業の取得にも何年もかかるそうだ。 

消費されていく葉ものの印刷物と違い、ずっと残っていく写真集の制作には印刷にかける技術と思いが込められているのだと痛感した。

 2日にわたって立ち会いをし、1日目の曇り空から2日目は晴れ渡ったのだが、昼食後に喫茶店に入っていると急に大粒の雨が振り出した。しかし、向こうのほうの空は明るく、外に出ることには晴れていた。東京出身の出版社の社長が、京都の冬はよい天気でも日本海側から雪が風に乗って降って来たり、天気雨や通り雨が多いのだと話してくれた。

 

1月27日朝 8:30京都駅前集合 曇っている

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夕方に晴れはじめた

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ドイツ製印刷機ハイデルベルグ

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地元の出版社の方が話していた喫茶店フランソワ 夜遅くまでにぎわっていた

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ヨコハマトリエンナーレ2014

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最終日にやっと見に行った。見応えがあった。
メインビジュアルを制作したはんこアーティスト葛西絵里香氏の活躍は嬉しかった。大胆で繊細な作品は手彫りでここまで!と感激する作品の数々。彼女の短大卒業制作の1000ポイントHelveticaを思い出した。一つ一つは小さいけれど、展示には彼女らしい遊びが入って、展示されているリノリウム版と版画が対応して展示されていることに気がついてふっと楽しくなったり、キャプションもリノカットの版画だったりと発見があった。しかし、作家にとって版を削ることは、自分自身の人生を削りあげるような厳しい作業のようなのではないかとも感じた。

釜ヶ崎大学もとても良かった。表現するということはやっぱり人に元気を与えてくれると再確認出来た。

 

アーティスティック・ディレクターの森村泰昌氏のメッセージ「忘却の海」による展示はシリアスで、今までのヨコトリのイメージとはちょっと違う印象だった。現代社会が大量消費して来たものたちを忘却してきたこと、記憶にものらないものなどに思いを馳せることによって、確かに違うものや今まで見えなかったことが見えて来たように思う。

1960年頃の松澤宥氏や奈良原一高氏など少し前の表現を多く展示していたが、どれもみな主張することがはっきり表され、ぶれていなかった。森村氏が言っている「芸術の良心」を持つという作品が並んでいたように思う。今回それらの作品を見て、以前に見たのとは違う印象を受けた。多分、それらの作品が制作された時代から現代までに多くの表現や価値観が生まれ、多くの波があったのも見て来たからかもしれない。

今年のヨコトリには今の時代に必要とされているような、芸術の冒険や良心があるように感じた。

 

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国際子ども図書館

国立国会図書館国際子ども図書館は上野公園の奥にある。

 

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1階から2階への大階段/建築当時からの照明器具が使用されている

 

帝国図書館から国立国会図書館が生まれ、その支部として国際子ども図書館国立唯一の児童書専門の図書館として現在に至っている。

本の収集・研究や閲覧サービス、催事、講演会などを行い、海外との連携も行いながら、子どもの読書環境を整えることが目的である。

ネットでの作品紹介なども多様に行っている。

 

 1階は主に子どものフロアで、子どもの部屋は閲覧室となっていて天井全体が照明になっていた。図書の保護のため窓は隠されているが、天気のよい屋外にいるように明るいのに驚いた。中央にある低めな大きな丸いテーブルが使いやすい。

2階は大人のフロアで、閲覧室となる資料室は申込制だが、建築当時のままに美しい彫刻が施された天井は高く窓も大きい、落ち着いた空間を味わうことが出来る。

 

建物は明治時代からの帝国図書館の施設をリノベーションしていて、近年では安藤忠雄の設計で建物の裏側は外壁を保護するようにガラスの通路が増設され、入り口から裏のカフェまではガラスの通路が新設され、保存修復された。

ガラスの通路からは建物内部にいながら明治時代の建造物へ入って行くような面白い構造になっている。現在の建物の保存修復に関しては安藤忠雄の設計である。

3階のラウンジとなる通路やホールのバルコニーでは古い外壁に触れることが出来るようになっていて、洋館好きな人も多く集まるようだ。

 

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絵本ミュージアムでは「日本の子どもの文学−国際子ども図書館所蔵資料で見る歩み」が 開催中で、本でしか見たことのない「赤い鳥」などの冊子や、児童書、絵本がならんでいたが、児童書や絵本という現在のかたちになってからはまだ歴史が浅いことが良く分かった。

その他、現在の新しい絵本の動行なども紹介されていて、見覚えのある児童書や絵本も展示されていた。

絵本はとくに近年の動向は著しく変わり、子どもの本から大人までが享受するようになり、絵本の解釈は興味あるものになってきた。

 

この図書館では週末にお話会があり多くの子どもが利用しているようだが、通常は大人の利用が多いように思う。週末のお話会や読み聞かせなどは子どもの集中を保つために年齢制限もしているそうだが、子どもが実際にページをめくって本を読むきっかけになってほしい。

図書館はとくに子どもがいる場合は自宅近所を利用することが多いと思うが、趣のある落ち着いた建物の整備された部屋をもっと子ども達が利用出来るとよいと思う。

 

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2階資料室/大人用閲覧室

 

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模型/

計画ではロの字型の建物だったが正面のみ建築で終わり、昭和になって正面左の棟が増築された。

円弧を描く奥の建物は増築中の書庫

 


国立国会図書館国際子ども図書館

 

 

 

花巻の軍鶏の養鶏場

花巻で泊まった民宿のすぐそばに軍鶏(シャモ)の養鶏をしているお宅があった。花巻駅から車で10分ほどの、田圃や林が広がるのどかな環境だった。

初めて見た軍鶏は凛々しく鋭い目をした美しい鶏だった。

1羽ずつちいさな金網の中に入れられていて最初なんだかよく分からなかったが、養鶏場の方に聞くと闘鶏用の軍鶏を育てていると教えてくれた。気性が荒いからいっしょの網には入れられないのだ。

沖縄から届けられた卵を孵したものや、東京から雛で来た軍鶏もいるという。1羽ずつ小屋の外に出してもらい、丁寧に育てられているのが伝わって来た。

気性の荒い鶏ということだったが、普通の鶏に比べ首が長く両足で立っているようなスマートな佇まいは、侍のように勇ましく風格さえ感じられた。

 

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花巻で命のはかなさと生きる強さを感じた

シンポジウム「宮沢賢治をめぐって」に参加するため、東北新幹線はやぶさに乗り、大宮から2時間15分で初めての新花巻に降り立った。こんなに速く着くとは?!

到着すると道を訪ねにいった観光案内所で急かされて、賢治の銀河鉄道をイメージする蒸気機関車を見に行った。東北の復興を願って観光用に週末走っているという。

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宮沢賢治の世界一色で作られた小さな釜石線新花巻駅すぐのところに踏切があったが、遮断機の降りない昔ながらの無人踏切だった。設備も悪いのだろうが、電車の本数も人通りも少ないし、人の判断を信じているようにも感じた。都会から考えると危険だけれど、観光客が増えたら遮断機がつくかもしれない。

 

2011.3.11の東日本大震災後、宮沢賢治の言葉が再注目されている。明治三陸地震津波の直後に生まれ、冷害などの相次ぐ災害を経験する中、法華経の精神を生抜き、貧困に喘ぐ人々の清貧でありながら明るく生き生きとした生活の道を求め、生まれ故郷を愛したイマジネーション溢れる物語や詩を残した。賢治の言葉からは、逆境での志や精神の強さを実感出来、心の支えとなるのだ。

賢治研究者は多く、毎年シンポジウムが各所で行われているが、昨今はことさらのようだ。

 
まずは宮沢賢治記念館へ向った。賢治さん(現地の方はこう呼んでいる)が「経埋ムベキ山」の一つに記した胡四王山にあり気軽に行ったが、「詩と童話の道」というすてきな名前の遊歩道は熊や鹿も出るという森深い道であり、人にも全く会わず、枯れ葉が落ちる音にもびくびくと慌てて昇ったり降りたりした。南斜面に設置された花壇は気をつけないと転び落ちそうなほどの急勾配だった。

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はなまき映像祭

1日目、10月4日夕方には新花巻駅にほど近いブドリ舎という元の釜石線の駅だったあたりに出来た講堂で、シンポジウムに関連したはなまき映像祭が行われていた。ドキュメンタリー映画監督伊勢真一氏の作品「妻の病」を見た。小児がんの治療を推進していた医師とレビー小体型認知症を患っているその妻の話である。

上映後の伊勢真一監督と絵本作家のいせひでこさんとの対談では、お二人とも人の力ではない何ものかに作らされているように、からだのなかから物語が出てくると話していた。表現しない人の言葉にならない言葉を写し出しているようだとも。

 

シンポジウム「宮沢賢治をめぐって」

2日目、10月5日朝から宮沢賢治イーハトーブ館で開催されたシンポジウムは、最初に伊勢真一監督の映画「だいじょうぶ」が上映された。

この映画は同じ東北は山形出身の小児科医細谷亮太氏の小児がん患者の臨床を追ったノンフィクション映画だった。小児がんは現在不治の病ではなくなって来たという。しかし、今まで多くの子どもの最期を看取ってきた細谷医師は経を読み、遍路の旅を続けている。死を宣告された子どもたちは一度はひどく泣くそうだが、心を強く持って与えられた時間を生ききるという。現世での命を失った子どもたちの命のはかなさは、無念、かわいそうと言うだけではない。短い時間ではあるが、家族や医療スタッフに見守られて生ききるという強さを感じた。

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子どもの頃、面白い言葉のリズムのせいか、いつの間にか覚えて口にするようになった「雨ニモマケズ」の詩は賢治さんが亡くなる2年前の11月3日、闘病中にしるした文章で、没後に発見された手帳に残されたものだったという。シンポジウムではこの文章が死を覚悟した諦観には違いないけれど、どのような気持ちで書いたのか多くの読み方があると様々な意見が出ていた。ただ死を覚悟し、生を諦めたというよりも、そのような生き方が良いのだという希望のようにも感じた。

ところで、この詩が太平洋戦争後に小学校教科書に掲載されたとき、「一日ニ玄米四合」となっているのを四合は多過ぎとして国が「一日ニ玄米三合」に改ざんしたエピソードがあり、苦笑した。


シンポジウムでは開催中のいせひでこ氏の絵本の原画展「2人の賢治」はともに37歳で亡くなった賢治さんとゴッホに共通点をみつけてタイトルにしたそうだ。2人を描いた絵本の原画が、膨大な取材の記録やスケッチとともに展示されていた。
よだかの星」や「にいさん」など少し前の作品で、現在とは違った濃密な色彩の画風をみることが出来た。

 

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イーハトーブ館へ行く前によったイギリス海岸は、賢治さんが名付けた。北上川と猿ヶ石川の合流点あたりで水位が下がったときに現れる川底が、イギリスの地層に似ているという名勝だが、現在はダムによる水位調整がなされ、豊かな水が滔々と流れていた。9月21日の賢治祭には観光客がイギリス海岸らしい川底を見せるために、水を止めているということだ。

秋には毎年鮭が遡上して来ているということで、たくさんではないが見ることが出来た。川底に産卵する穴を掘ったのか、それとも闘ったのか鮭の白い尾びれがぼろぼろになっていた。産まれた地に戻って命をつなぐために長い旅をして来た勲章のようにも見えた。

親魚は遡上し産卵、放精後、半日くらいで寿命がつきることが多いという。身体が白くなっているのは寿命が近くなって免疫が落ち、遡上する間にカビなどのために上皮が白くなるのだそうだ。

命は自分ではどうしようもないものでいつ途切れるか分からないが、その中を生きる営みにはこちらが奮い立たされるような力強さを感じる。

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