yamayama_photo日記

心に残るよしなしごとを写真とともに書きとめる草ログ

花巻で命のはかなさと生きる強さを感じた

シンポジウム「宮沢賢治をめぐって」に参加するため、東北新幹線はやぶさに乗り、大宮から2時間15分で初めての新花巻に降り立った。こんなに速く着くとは?!

到着すると道を訪ねにいった観光案内所で急かされて、賢治の銀河鉄道をイメージする蒸気機関車を見に行った。東北の復興を願って観光用に週末走っているという。

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宮沢賢治の世界一色で作られた小さな釜石線新花巻駅すぐのところに踏切があったが、遮断機の降りない昔ながらの無人踏切だった。設備も悪いのだろうが、電車の本数も人通りも少ないし、人の判断を信じているようにも感じた。都会から考えると危険だけれど、観光客が増えたら遮断機がつくかもしれない。

 

2011.3.11の東日本大震災後、宮沢賢治の言葉が再注目されている。明治三陸地震津波の直後に生まれ、冷害などの相次ぐ災害を経験する中、法華経の精神を生抜き、貧困に喘ぐ人々の清貧でありながら明るく生き生きとした生活の道を求め、生まれ故郷を愛したイマジネーション溢れる物語や詩を残した。賢治の言葉からは、逆境での志や精神の強さを実感出来、心の支えとなるのだ。

賢治研究者は多く、毎年シンポジウムが各所で行われているが、昨今はことさらのようだ。

 
まずは宮沢賢治記念館へ向った。賢治さん(現地の方はこう呼んでいる)が「経埋ムベキ山」の一つに記した胡四王山にあり気軽に行ったが、「詩と童話の道」というすてきな名前の遊歩道は熊や鹿も出るという森深い道であり、人にも全く会わず、枯れ葉が落ちる音にもびくびくと慌てて昇ったり降りたりした。南斜面に設置された花壇は気をつけないと転び落ちそうなほどの急勾配だった。

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はなまき映像祭

1日目、10月4日夕方には新花巻駅にほど近いブドリ舎という元の釜石線の駅だったあたりに出来た講堂で、シンポジウムに関連したはなまき映像祭が行われていた。ドキュメンタリー映画監督伊勢真一氏の作品「妻の病」を見た。小児がんの治療を推進していた医師とレビー小体型認知症を患っているその妻の話である。

上映後の伊勢真一監督と絵本作家のいせひでこさんとの対談では、お二人とも人の力ではない何ものかに作らされているように、からだのなかから物語が出てくると話していた。表現しない人の言葉にならない言葉を写し出しているようだとも。

 

シンポジウム「宮沢賢治をめぐって」

2日目、10月5日朝から宮沢賢治イーハトーブ館で開催されたシンポジウムは、最初に伊勢真一監督の映画「だいじょうぶ」が上映された。

この映画は同じ東北は山形出身の小児科医細谷亮太氏の小児がん患者の臨床を追ったノンフィクション映画だった。小児がんは現在不治の病ではなくなって来たという。しかし、今まで多くの子どもの最期を看取ってきた細谷医師は経を読み、遍路の旅を続けている。死を宣告された子どもたちは一度はひどく泣くそうだが、心を強く持って与えられた時間を生ききるという。現世での命を失った子どもたちの命のはかなさは、無念、かわいそうと言うだけではない。短い時間ではあるが、家族や医療スタッフに見守られて生ききるという強さを感じた。

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子どもの頃、面白い言葉のリズムのせいか、いつの間にか覚えて口にするようになった「雨ニモマケズ」の詩は賢治さんが亡くなる2年前の11月3日、闘病中にしるした文章で、没後に発見された手帳に残されたものだったという。シンポジウムではこの文章が死を覚悟した諦観には違いないけれど、どのような気持ちで書いたのか多くの読み方があると様々な意見が出ていた。ただ死を覚悟し、生を諦めたというよりも、そのような生き方が良いのだという希望のようにも感じた。

ところで、この詩が太平洋戦争後に小学校教科書に掲載されたとき、「一日ニ玄米四合」となっているのを四合は多過ぎとして国が「一日ニ玄米三合」に改ざんしたエピソードがあり、苦笑した。


シンポジウムでは開催中のいせひでこ氏の絵本の原画展「2人の賢治」はともに37歳で亡くなった賢治さんとゴッホに共通点をみつけてタイトルにしたそうだ。2人を描いた絵本の原画が、膨大な取材の記録やスケッチとともに展示されていた。
よだかの星」や「にいさん」など少し前の作品で、現在とは違った濃密な色彩の画風をみることが出来た。

 

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イーハトーブ館へ行く前によったイギリス海岸は、賢治さんが名付けた。北上川と猿ヶ石川の合流点あたりで水位が下がったときに現れる川底が、イギリスの地層に似ているという名勝だが、現在はダムによる水位調整がなされ、豊かな水が滔々と流れていた。9月21日の賢治祭には観光客がイギリス海岸らしい川底を見せるために、水を止めているということだ。

秋には毎年鮭が遡上して来ているということで、たくさんではないが見ることが出来た。川底に産卵する穴を掘ったのか、それとも闘ったのか鮭の白い尾びれがぼろぼろになっていた。産まれた地に戻って命をつなぐために長い旅をして来た勲章のようにも見えた。

親魚は遡上し産卵、放精後、半日くらいで寿命がつきることが多いという。身体が白くなっているのは寿命が近くなって免疫が落ち、遡上する間にカビなどのために上皮が白くなるのだそうだ。

命は自分ではどうしようもないものでいつ途切れるか分からないが、その中を生きる営みにはこちらが奮い立たされるような力強さを感じる。

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