yamayama_photo日記

心に残るよしなしごとを写真とともに書きとめる草ログ

Bologna Children's Book Fair 2014

3月24日〜27日イタリア北部エミリア・ロマーニャ州の州都ボローニャで開催された
Bologna Children's Book Fair 2014 に行って来た。

Bologna Children's Book Fairは今年で51回目を迎える世界最大の児童書の見本市。子供のための絵本作家、イラストレーター、作家、翻訳家、出版社らが世界中からビジネスのために集まってくる。2014年度は世界74カ国から約1200団体が展示ブース出展をした。私の勤める学校もその中の1つとしてブースを出展した。
今年は昨年に続いて2回目の訪問だったが、昨年の同時期に比べると日本同様大分暖かかった。空港近くにある桜並木は満開だった。

2回目のため、会場や街の様子も分かり、Book Fairの各国ブースの状況なども少し見えて来た。イタリアをはじめとするヨーロッパの多くが中心のホールに並び、アジア、中近東系は少し奥のホールにまとまっている。多分、往年の国のホールを中心に各国のホールが広がっていったのだと思う。

2014年度は74カ国から約1200団体が出展し、4日間の入場者数3万人、その中でアジアの出展や参加者も多く目に入って来た。
このBook Fairでは、いくつかの公募などが行われ、日本で絵本作家の登竜門と言われる国際絵本原画展では日本のイラストレーターの入選者が75名中15名、昨年のwinnerも、過去数年間の出版物から選ばれるラガッツィ賞にも、小さなノーベル賞といわれる国際アンデルセン賞にも日本人が受賞していて、その活躍に驚かされる。
出版社ブースでは絵本作家の売り込みに対応してくれるため、多くのイラストレーターや絵本作家志望の人々が集まって来ているが、ヨーロッパ勢に混じってアジア勢も大分参戦していた。日本の若者は国際原画展に出品をしたのをきっかけに来訪することが多いようだけれど、こんなに遠くまで大変だなと思う反面、日本の絵本作家志望の若者が好奇心旺盛にはるばるイタリアへ作品を売り込みにやってくる心意気には頑張れと応援したい。
何しろ、最近の若者は海外旅行や買い物も興味がない人が多いと聞いているので、積極的に自分のやりたい道を求めているのは健康的だと思う。

BOLOGNA RAGAZZI AWARD受賞作品の展示風景。ラガッツィ賞は紙媒体からデジタル部門などいくつかの部門があり、フィクション、ノンフィクション部門では過去2年間に出版された絵本のなかよりデザインの観点で斬新かつ優れた児童図書に贈られる。今年の受賞作品の展示も斬新なディスプレイだった。

ブックフェアに新しく同時開催された一般の読者向けのイベント“Week of Children’s Books and Cultural Activities : Don’t Tell the Grown-Ups”には1週間で親子をはじめとする15,000人の入場者があった。25,000冊も揃えた本屋やワークショップなどがあり、人の多さにもおどろいたが、たくさんの親子が一緒に絵本を選んだり、読んだりしている様子を見ると、本の浸透のし方や文化の違いを目の当たりにした感じだ。日本では親が絵本を選ぶことが多く、こういう場所で親子で絵本を選ぶとコミュニケーションの取れた満足した選択が出来そうだし、絵本の受容や底辺が広がる気がする。

ボローニャへ自分の作品の売り込みにくる日本の若者には、こんな文化も見てもらい、イタリアでの子どもと絵本との出会い方を知り、絵本の底辺を広げるような活動をしてほしいと思う。


人口約37万人のボローニャは西欧最古の大学がある古い町並みを残した落ち着いた街だ。
有名な観光地がいくつもある所ではないが、大学を中心とした博物館や美術館、近くには戦後幼児教育のメッカとなったレッジョエミリア市もある、国内では生活水準の高い地域とされている。そんなこともあって50年以上も続くBologna Children's Book Fair が行われる地となったのではないだろうか。

歴史地区は週末は広い面積で自動車が入れない区域となる。マッジョーレ広場、ネッテューノ広場を中心に古い歴史的教会がいたる所にある。
歩道はポルテコという中世のアーケードが繋がり、雨でも歩きやすくなっている。ボローニャ市内では約40Kmにもなるということだ。
ボローニャの空港からも見える郊外の丘の上にあるサンルカ聖堂へは、旧市街の外れから丘の上まで約3,7Kmも続くポルテコを登って行くことが出来るそうだ。
ポルテコはそれぞれ美しく、所々階段で高低があって設置当時の様子はどんなだったのだろうと想像が広がる。
本当に様々なデザインを見ることが出来る。






宝箱 齋藤陽道 写真展

「宝箱 齋藤陽道 写真展」を見に行った。

昨年の11月から始まって3月16日まで。長い開催期間だけれどやっと時間がとれた。
齋藤陽道氏は「同類」で2010年キャノン写真新世紀の優秀賞を受賞している。「健常者と障がい者をもっと広くひっくるめたような作品をつくりたかった。そのためには、命の根本について考えるべきだと思いました。」と語っている。
とてもパワーのある、それでいてふわっと不思議な美しい世界だ。

宝箱の写真は色彩、被写界深度や焦点の合い方、フレアが美しく調和して、いろいろな人が使っている言葉だが、この世のものとは思えない世界が広がっていた。
さほど広くない会場の3フロアで展示された作品は天井近くまで展示され、大きなプロジェクターでのスライドショウも行われていた。1枚1枚が鮮明というよりは、次の写真と重なって繋がりながら写真が上映されていた。

カタログに書かれた吉本ばなな氏の多くの言葉に共感した。
「世界のほんとうの音がこの人には見えているんだろうな、私と同じように」
「宇宙の法則の中で泳ぎながら、このいっとき地上にいさせてもらっているんだということ。それはとても孤独なことなんだけれど、人はもともとそこからやって来てそこへ帰っていくだけだ。」
「私たちの目で見たら、世界はこんなふうにものすごい光に満ちて見えているんだよ。私たちが代わりに表現して、思い出させてあげるよ。」
自身の視覚障害について語りながら、世界の見え方を語っていた。

最近障害のある方々の話を聞く機会が増え、見るということは人それぞれであることに体験的にようやく気付いた。
見えるということがない世界の人もいて、私は多分多くの人と同じように見える世界にいる。
世界が見える人々でもその見え方は違っており、同じ人でも年を経るごとに見え方は違って来る。
見るということを語る時、自分の世界の中だけで語ることは出来ないのだ。

写真は真を写すものではないけれど、何かを提示して真を語りかけている。
齋藤陽道氏の写真は、何をみれば良いのか、今私が信じている世界の違う見方を教えている。
自分と違う世界に見えればみえるほど、ほんとうは同じ世界にいるのだということを考える必要があるのだろう。


「宝箱_齋藤陽道 写真展」
2013年11月30日[土]〜 3月16日[日]2014年
ワタリウム美術館
http://www.watarium.co.jp/museumcontents.html

今年も酉の市

ずっと書いていなかったこのブログだったが、少し前に、以前書いた文章を見ていただきコメントが届いた。検索で見つけていただいたことが有難く、同時に責任を感じた。
毎日、身の回りでいろいろな出来事が起こり、ニュースや新聞などで良いことも悪いことも起こったことを知り、心が温かくなったり、怒りがわき上がったり、いつまでも落ち着かない日々である。
facebookで残すことは安定しないことも分かった。
このブログをこのままにするよりも、またすこしずつでもアップして、気になったことを残しておきたいと思う。

アップをしない間に、今年も年末を迎えた。

12月15日、12月初酉の日に、近くの神社で開かれている酉の市へ行き、熊手を買った。この神社では縁起市ともいうらしい。
11月に行われる新宿の花園神社や浅草とは違い、小さな神社の小さな市であるし、夜遅く行ったためか人出は少なかった。しかし、珍しくお神楽もやっていて、こじんまりといい雰囲気だった。
買い求めたのは小さい熊手だったが、鯔背なお兄さんたちが元気に三本締めをしてくれた。今年の疲れが少々とれた思いがした。
その昔は値引きの掛け合いをして、その値引き分をご祝儀として店へ渡し、そのお返しに手締めしてもらったとある。粋な買い物だったのだなぁ。今は値引きしても手締めしてくれる。サービスが良いのか、知らない人が多くなって形式的になっているのか。
熊手は縁起物が紙や粘土、プラスチックや布などでキンキラに作られ、ぎちぎちに詰め込まれていて、賑やかさは申し分ないけれど、趣味が良いともいえない。でも、縁起物ということで有難やというものだ。

私が熊手を買いにいくのは今年で3年目だ。今までは家の人が行ってくれていたが、年末に神社へ行き新しい熊手を買い求めることは、来年に向けて元気の出ることだと感じる。
今年も無事に過ごせたお礼と、来年の無事をお参りし、「ああ、また今年もこの場に来ることが出来た」と、感謝した。
新年の初詣も良いけれど、酉の市もまた違った良さのある日本の年中行事だ。


iphoneで撮影すると、照明のせいもあると思うが、暗い場所でも明るく彩度が高く写った。

地球温暖化とミニ氷河期

この冬はとても寒く、3月に入ってもなかなか暖かい日が訪れず、とうとう31日はものすごい強風と雨で薄暗い1日だった。前日の天気予報で明日は出来るだけ外出しない方が良いと言っていたのは大正解。太平洋側が大荒れだったようだが、交通も大混乱で、近場ではスカイツリーラインと名称変更した東武伊勢崎線が途中区間が運転中止となった。工事の幌が外れて窓ガラスが割れたり、青山では信号機が回ってしまったという。落ち着かない日だったが、関東は夕方には大分おさまり夕陽も見えた。
一昨日ロンドンから届いたメールにここのところ驚くほどの晴天続きとあったので、日本はなかなか暖かくならずに昨日は特に大荒れと返事を書いた。今日届いたそのまた返信メールには、ロンドンは久し振りに急に冷えて自動的にヒーターが入ったと書いてあった。そこで私からの返信は、今日の日本は昨日とは打って変わって暖かくてよい天気になり、春も遠からずだと返信した。どちらの国も結局はだんだんと暖かくなるのだ。
必ず暖かくなるということなら心配ないけれど、4月1日に見たテレビでは赤道直下でありながら山頂には氷河のある世界遺産キリマンジャロは、地球温暖化によりその氷河もあと20年くらいで消滅すると言われていた。が、しかし同TV局の31日の番組では子どもたちにミニ氷河期が来ると伝えていた。良く調べないと翻弄されてしまう情報だが、2020年からはじまる太陽のサイクルの活動停滞期は活動停止レベルが著しく低いらしくミニ氷河期が到来するということらしい。温暖化の原因を太陽の活動とする派は、温暖化に歯止めがかかるのではないかと言っているらしい。海洋の寒暖の循環とかの説もあるけれど、どちらにしても結局は必ずちょうど良くなるのなら心配ないのだけれど、どちらも厳しい環境になる恐れの方が高そうだ。



この寒さで梅の満開時期も2週間近く遅れた。例年の梅祭の時期が過ぎてしまった地域もあったという。
3/29近所の梅は満開。梅は色で咲く時期が大分違うけれど、遅い梅も31日の強風で大分散ってしまったかも知れない。


31日夕方、風雨が治まって出かけたら使用前の新しい信号機のカバーが破れかぶれになリ、古い商店街の街頭のように見えた。
この通りは区画整理が終わりやっと出来かかってきたが、まだまだ通ることは出来ない。いつ開通するのか、開通してもどうやって通行するのかも分かり難い。
それにしても道路行政は時間がかかるものだ。
(iphoneで撮影)

山崎弘義 DIARY 10years ago

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写真家、山崎弘義氏が認知症の母を介護した数年間に思い立ち、毎日母の撮影をした写真をブログで公開している。
撮影は10年前の2001年9月4日から始まった。撮影は母が亡くなる2004年10月まで続き、撮影枚数は約1150カットに及んでいる。母のポートレイトとともに、時間の移ろいを暗示するように庭を撮影した写真を対比して提示している。写真の一部は昨年発表されて、多くの人々の心を動かした。
写真には淡々と短いコメントが添えられている。認知症の人と触れ合うのに話の筋というのが無意味な対話になることが多いのだが、それが腑に落ちたり、落ちなかったり、けれど何故か絶対的に真実でもあり得るという、人間の簡単には解釈出来ない複雑さに触れるようである。
撮影開始から10年目を機に、別の存在として残っている膨大な写真を追体験するように、また客観的に別のものにして行くために、毎日1枚ずつWEBにアップしている。

http://hahaniwa.exblog.jp

被災地の写真洗浄ボランティア

先日、末広町にある3331 Arts Chiyodaの地下で行われている「被災地写真洗浄ボランティア」に参加した。30数名集まったボランティアのうち、初心者は約半分だった。洗浄は富士フィルムとArts Chiyodaのスタッフ数名がリーダーとなって行われた。富士フィルムに父親がつとめているという男子高校生が数度の洗浄体験者として、グループリーダー格で黙々と作業していた。
海水や泥水に浸されて約半年そのままになっていた写真はほとんどが銀塩写真バクテリアなどによるゼラチン質の浸食がひどく、水洗すると大分絵が失われてしまうが、そのままにしておくとバクテリアの浸食がどんどん進むため、早急な対応が必要との事だ。
写真のほとんどがアルバムやポッケットアルバムに入っており、一度ぬれたものが泥とともに乾いてアルバムから出し難くなっている。丁寧に開いて泥などを筆で落とす。メモ書きなども大事に残され、アルバムを探しやすくするため、中にどんな写真が入っているのかメモをする。水槽内でバクテリアに冒された部分、残った泥を丁寧に落とし、水ですすぎ網に干した。何となく海の匂いがしたような気がする。きれいになった写真は富士フィルム提供の新しいアルバムに納められるとの事。30数名で2時間行い、段ボール1箱の洗浄が終了した。かなり時間のかかる作業だった。
水洗したらほとんど画像が分からなくなってしまいそうな写真はデジカメで複写した。今回洗浄したのは閖上地区の写真だそうだ。陸前高田の分が今後届くようだが、地域が広いため逆に写真に手がまわらなかったという話だ。
被災地で写真を発掘したのは自衛隊やボランティアの方々のようだが、今後膨大な量のなかから持ち主が探して回る。被災者の手に無事戻り、貴重な思い出が手元に戻り蘇ることを喜んでいただけたらと思う。
どの写真も私たちの思い出と重なるような人の一生の一コマが写っていたが、ボランティアの皆さんはほとんど写真に写った内容を見ている余裕はなく、出来るだけきれいに多くの画像を残そうと一生懸命に、像の残り具合を見て一喜一憂した。終了時の片付けの手際や協力具合もさすがボランティアを買って出る人達だと思うほどスムースだった。

写真が記憶の糸口として、過去になってしまったことの記録あるいはよりどころとして重要なものだと今回の震災で改めて感じた。私たちが日常の記録として家族や友人達と撮られたであろう写真は、今、多くの人の手を通してもっと重みを持った存在に変わる。政治家や経済人、学者などではなく、本当の意味で日本を動かす多くの人々が生きた事を皆が守ろうとしているようにも感じる。

失われた記憶を紡ぐにははかなくなりすぎた画像なども多く、少しでも残った画像に記憶をたどり元気になっていただけると良いが、はかなくなってしまった画像に悲しさが募ってしまう方など、それぞれの状況で受け取り方が違ってくると思われる。どのように手元に戻していけば一番良いのか、心の専門家との恊働ができたら良いと思う。
心のケアが叫ばれて久しいが、個々の状況は計り知れないほど複雑で、復興はこれからが個別の複雑な対応段階へ入る。それぞれの生き方、考え方、家族の状況、仕事、経済状況など多くの問題があり、それぞれの満足がいく復旧はとても難しい事なのだと思う。


富士フィルム/写真救済プロジェクトはtopページ右下のバナーから
http://fujifilm.jp/

しょうぶ学園

9月6~8日と2泊3日で鹿児島の障がい者支援センター「しょうぶ学園」を体験に行った。
しょうぶ学園は正式には社会福祉法人太陽会の事業で、障害者支援センター SHOBU STYLEが総称である。
最初にしょうぶ学園を知ったのは「nui project」という名前で紹介されていた過剰過ぎるほど自由に刺繍された服たちとの出会いだった。どんなところでこのすばらしい作品が障がい者によって創られているのか知りたい。それは初め作品としての素晴らしさに見せられたからだった。

近年、障害者支援をアートの力で改善、展開しようという試みが注目されている。それぞれの施設によって条件はさまざまだが、アート(自由な表現という方が適切な気もする)を切り口に障害者の就労支援や生活支援、治療を行い、福祉の場だけでなく広く社会とつながり、新しい価値観をもたらすプログラムを提案している。「障がい」という概念が変わりつつあるのだ。
今回行ったしょうぶ学園は障がい者施設の経験から、人が本来持っているピュアな欲望をそのまま受け止め、創造的な活動に昇華しようとしている。特筆するのはそのクオリティの高さと現代性、徹底したサポートの独自性だ。

しょうぶ学園には入所施設やデイケアの施設の他、工房しょうぶとして布の工房、木の工房、土(陶芸)の工房、紙の工房等がある。施設利用者の興味、特性、能力などによって希望者が各活動に参加している。nui projectはこの布の工房から生まれている。
それぞれの工房から生まれたものは、作品として展示されたり、商品に仕立てられたり、本人が作品を手放すのを望まない場合何年も同じ作業をし続けている人もいる。作品やグッズとして公開されるのは一部であるが、作家として評価され海外の展覧会や画廊で紹介される人もいる。本来、アートにジャンルは不要だが、現在は障がい者のアートとしてアール・ブリュットアウトサイダーアートとして紹介されることが多く、差別的と敬遠する人もいる。しょうぶ学園では表現したいという欲求を素直に外化した何にも属さないアート:just artと呼んでいる。
施設利用者にとっては表現することあるいは、ものを創ることと思っているのかどうかも分からない。ただ、そのことは生きることと同様に自然であり、その人の生きるエネルギーと同調しているようにみえる。見た限りでは固執しているようにも思えない気持ちのよいものを感じた。

ここでは施設利用者の作ったものを作品として展示したり、商品に仕立てて販売することは利用者とスタッフのコラボレーションだと考える。規制概念に影響されない表現をストレートにできる事と、社会の規範に適応して行動することは相反することだが、障がい者には前者は容易だが後者は難しい、健常者と言われる者には前者が難しく後者が通常だ。それぞれお互いに相反する障がいを持つと考え、障がいはトラブルではなく特性だと考える。障がい者をなんとか通常の社会に適応させようとするのではなく、寄り添うという言葉が適し、互いに心地よく過ごせるように目指している。
工房で作られるものの他に、農園での野菜作りや、パン屋さんやそば屋さん、カフェも開設され、地域交流スペースやギャラリーとともに一般の人に公開し、開かれた施設としている。カフェの生パスタ類はパスタの形状もデザインされていて美味しいだけでなく、とても楽しいものだった。また、それぞれの場所では施設利用者も働いている。

もう一つ忘れられないのは、しょうぶ学園の環境が素晴らしいところだ。鹿児島という場所柄もあるだろうが市街地の天文館からバスで約30分弱の菖蒲谷という山と緑に囲まれながらも、周囲には民家やコンビニエンスストアもあるところだった。門に続く桜並木の突き当たりに芝生の広場があり、周囲には大きな樹木が枝を揺らし、スタッフが作ったという小川のある美しい庭や、それぞれの目的のしゃれた建物が距離感を持って点在する心地よい場所だ。今までの障がい者施設というイメージは全くなく、自然を感じ、場を大切にする主宰者の感性、考えが伝わってくる。実際、建物を一部リニューアルしたときに利用者やスタッフの関係が良くなったそうだ。

わたしは入所者のアートに関する部分しか体験出来なかったが、環境がすばらしく整えられていればいるほど、スタッフの大変さを感じてしまった。
けれど、たまたまここで行われている音楽教室のライブ「otto & orabu」はその心配を払拭するほど、演奏するメンバーの心からの声が聞こえるものだった。音楽を楽しむというよりも生きる喜びそのものが振動となって心に響いた。打楽器を演奏するのが障がいを持った皆さんで、安定したリズムやメロディーを奏でるのと叫ぶのが施設のスタッフ達だった。スタッフの疲れもこの演奏や叫びで発散されるのではないかと思った。「音階を譜面通りに演奏せずにずれる事が障がい者の演奏ならば、それに合わせて演奏すればよいと気付いた。」
このバンドの演奏を身体全体で踊るように指揮をしていたしょうぶ学園の園長の言葉だ。

すべて理想的に整えられている施設はともすれば、寄り添いながらも利用者の気持ちや意思より主宰側のこだわりが強く働いているようにも感じられるが、園長の話を聞いていると社会につながっていくために、施設利用者の希望をどのようにはかるのか、その思いに寄り添ってどこまで作品に関わってよいのか、非常にセンシティブに考えている事が伝わってきた。


あのすごい刺繍のシャツが生まれてくる現場は、やはりすごい所だった。
人が本来持っている力を、社会の中でどのように伸ばして表現していけば良いのか。今言われているアートとは何なのか。人が心地よく生きるとはどういうことなのか。
出来ることからはじめるというシンプルなこと、何にも規制を受けない表現を無理なく支援するということから、饒舌な世界が生まれてくるようなしょうぶ学園の試みを見ると、今の社会は余計なことが多くなり過ぎているように思えて来た。

しょうぶ学園 http://www.shobu.jp/


桜並木の正面の芝生の広場と地域交流スペース“オムニハウス”


オムニハウスの壁画は利用者の絵をもとにスタッフが描いたもの
内部の壁面にもモノトーンで描かれているが、天井や床など思っていない箇所に描かれていて楽しい
床にも利用者の作品のタイルが埋め込まれている


大きな木に竹の楽器が下がっている庭 奥は紙の工房


紙の工房
建物右半分に紙漉の設備があり、左半分では描画や版画などを行っている


布の工房 最近土壁の建物にリニューアルしたそうだ
中は木の壁で自然の光が入ってくる天井の高い明るい建物 モグラハウスという


布の工房でできる魅力的なnui projectの刺繍のシャツ
刺繍を特別に教えてはいないけれど針と糸があると自由に刺繍を始めたそうだが
玉結びを知らないのでスタッフがほつれないように工夫をする


土の工房前の花壇には気がつくと焼き物の作品がかくれている


至る所にある手作りの看板やサインが微笑ましい


おしゃれな“パスタ&カフェOtafuku”
入り口壁面を利用者作のテラコッタが飾っている


おたふくの自家製生パスタ
パスタの種類によって形状が違う このパスタはおたふくの絵がエンボスされたまるい形
食器や雑貨もほとんど利用者の手作りだ


庭のアメリカデイゴの花が南国らしくまぶしかった


2日目に布の工房で利用者さんたちと刺繍のワークショップをした
利用者とテーブルを囲み無心に無心にと思いながら針を動かした
時々こちらに「ほらこんな感じ」と制作中の刺繍を見せてくれながら
隣で黙々と縫っている利用者さんに触発され、何となく丸い感じで刺繍した