yamayama_photo日記

心に残るよしなしごとを写真とともに書きとめる草ログ

宝箱 齋藤陽道 写真展

「宝箱 齋藤陽道 写真展」を見に行った。

昨年の11月から始まって3月16日まで。長い開催期間だけれどやっと時間がとれた。
齋藤陽道氏は「同類」で2010年キャノン写真新世紀の優秀賞を受賞している。「健常者と障がい者をもっと広くひっくるめたような作品をつくりたかった。そのためには、命の根本について考えるべきだと思いました。」と語っている。
とてもパワーのある、それでいてふわっと不思議な美しい世界だ。

宝箱の写真は色彩、被写界深度や焦点の合い方、フレアが美しく調和して、いろいろな人が使っている言葉だが、この世のものとは思えない世界が広がっていた。
さほど広くない会場の3フロアで展示された作品は天井近くまで展示され、大きなプロジェクターでのスライドショウも行われていた。1枚1枚が鮮明というよりは、次の写真と重なって繋がりながら写真が上映されていた。

カタログに書かれた吉本ばなな氏の多くの言葉に共感した。
「世界のほんとうの音がこの人には見えているんだろうな、私と同じように」
「宇宙の法則の中で泳ぎながら、このいっとき地上にいさせてもらっているんだということ。それはとても孤独なことなんだけれど、人はもともとそこからやって来てそこへ帰っていくだけだ。」
「私たちの目で見たら、世界はこんなふうにものすごい光に満ちて見えているんだよ。私たちが代わりに表現して、思い出させてあげるよ。」
自身の視覚障害について語りながら、世界の見え方を語っていた。

最近障害のある方々の話を聞く機会が増え、見るということは人それぞれであることに体験的にようやく気付いた。
見えるということがない世界の人もいて、私は多分多くの人と同じように見える世界にいる。
世界が見える人々でもその見え方は違っており、同じ人でも年を経るごとに見え方は違って来る。
見るということを語る時、自分の世界の中だけで語ることは出来ないのだ。

写真は真を写すものではないけれど、何かを提示して真を語りかけている。
齋藤陽道氏の写真は、何をみれば良いのか、今私が信じている世界の違う見方を教えている。
自分と違う世界に見えればみえるほど、ほんとうは同じ世界にいるのだということを考える必要があるのだろう。


「宝箱_齋藤陽道 写真展」
2013年11月30日[土]〜 3月16日[日]2014年
ワタリウム美術館
http://www.watarium.co.jp/museumcontents.html