yamayama_photo日記

心に残るよしなしごとを写真とともに書きとめる草ログ

田窪恭治さんの風景

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風景を表現の対象とした仕事を『風景美術』。作家がいなくなった未来においても生き続ける表現の現場を『風景芸術』と呼び、そのような空間的にも時間的にも開かれた活動を目指す。・・・
長い時間そこにあったものを現代の姿に再生するプロジェクトを行っている田窪恭治さんは自分の仕事をこう表現する。

長い時間をかけて計画、制作、そして周囲の環境やそれを支持する人々との調和を大事にすることによって、現場を次の長い時間に繋いでいく壮大なアートプロジェクト。それが田窪さんの仕事だ。田窪さんは描くこと、作ることのほかにも多くのことをやり遂げなければならない、通常の美術館などに収まらない単にアートと一言で言えない仕事だ。その活動を垣間見られるのがこの東京都現代美術館で開催している展覧会「田窪恭治展 風景芸術」だった。
全く知らなくて恥ずかしいが、今まで林檎の礼拝堂の壁画はフレスコ画だと思っていた。それが今回実際の習作などを見てびっくりした。鉛の上に顔料を重ね最後に塗った白い顔料を上から鑿(のみ)で削り出して描くという技法だ。そのため、色の層が美しく見え隠れして、風化しているようにも見えるし、本当に時間がたったときの姿も美しくなりそうだ。地下水をしのぐこともあって使用されている鉛の質感で色は様々に表情を変えて見え、時間が感じられる。タッチには繊細さと力強さが共存していた。絵としてもオブジェとしても魅力的な、まさに風景芸術だ。
林檎の礼拝堂、サン・ヴィゴール・ド・ミュー礼拝堂の朽ちかけた屋根の修復の一部に色ガラスが使われているのは知っていたが、床にはコルテン鋼が敷かれている。金比羅宮では書院のふすまにアルミの枠、引き手は有田焼、襖絵のヤブツバキの描材はオイルパステル、有田焼のタイルが他の壁面にも使われている。田窪さんの再生は五感を刺激する斬新な素材が周到に選ばれているのだ。
風景には現場という実空間を成す物理的なものが必要だ。田窪さんの作り出す風景には多彩な素材が詰まっており、それが長く生き続ける。生き続けるということは1つの完成形として定着されるというより、経年変化し続けることだ。そこに田窪さんの芸術家としての表現性を強く感じる。6年間かかっている金比羅宮の書院の襖の絵もどのような完成という終着になるのだろうか。
プロジェクトに関連した展示のほかに、この展覧会には学生時代からの制作の軌跡が紹介され、田窪さんの活動の元になっている考え方が感じられ、若い頃から制度に挑戦するようなアートを模索していたことが分かる。
今回の展覧会では東京都現代美術館が小さく感じられた。それは現場に通じる原寸大の展示が多く、やはり美術館に収まりきらない仮想風景だった。林檎の礼拝堂東京バージョンの鋳物のタイルを実際に踏みしめると乾いた音がして、ノルマンディの小さな村の空気を想像してみた。
そして、これはやっぱりノルマンディのサン・マルタン・ド・ミュー、四国の琴平山へ行かなくてはと思う。



東京都現代美術館 http://www.mot-art-museum.jp/
久し振りに行った東京都現代美術館。建物は変わらないけれど、地下のレストランは閉館時間後もやっているし、ショップはここもナディッフになっていた。