yamayama_photo日記

心に残るよしなしごとを写真とともに書きとめる草ログ

午腸茂雄という写真家

日曜日は四谷の元小学校という公共施設で行われた「写真の内側外側研究会 課外講座3 異色の写真家列伝」を聴講した。
講師は写真評論家・研究家の大日方欣一氏。写真の歴史の外側にいてあまり語られない写真家を取り上げ、その写真家としての経緯や作品などを読み解いていく。写真と直接関係のないところまで幅広くリサーチし、写真を理解する資料としている大日方氏ならではの講座だ。
今回は写真家、牛腸茂雄さんが紹介された。
牛腸茂雄さんは比較的語られることの多い写真家だと思う。1983年36歳の若さで亡くなっているが3冊の写真集とインクブロットの画集など多くの作品を残している。特に彼の死後1986年以降、ドキュメンタリー映画が作られたり、回顧展などで再評価された。
なかでも「SELF & OTHERS」が私には印象的な写真集だ。じっとこちらを見ているポートレート。微妙な距離感が笑いかけるでもなく冷たくもない表情で「じっと」している映像を見ているような気にさせる。
今回は大辻清司氏の言葉、初めてシャッターを切った時は「何を撮ってゆくのか、写真に何を託そうとするのか、写真作りのかかわりについてのスイッチがここでオンになった訳である」(「最初の一枚」『写真ノート』1989)に始まり、牛腸さんがグラフィックデザイナーを目指して入学した桑沢デザイン研究所での課題作品が珍しく紹介された。空を撮影しハイコントラストでプリントする、テクスチュアを撮る、面接ポートレート、ピンホール写真などがあったようだ。初めて写真を学んだのが造形訓練としてのこれらの課題だった。
明確なコンセプトを打ち立て、余計なことがなかった牛腸さんの写真活動には、一つのコンセプトに収斂させる作業とも言えるデザインを学んだことが影響を与えているのではないかということだった。桑沢を卒業後、課題を超えたところで活動していた牛腸さんだったが、その課題を繰り返し問い返しているように作品が特徴づけられていると大日方氏は言っていた。
牛腸さんは師である大辻清司氏と実は微妙な関係だったとも語られた。時代の流れの中で日々生まれてくる表現は常に理解されにくい。牛腸さんの拡散するイメージがフットワークの軽い若い表現ととらえられたのだろうか。
長い時間が経ってくると何かを表す言葉は旧態然としていられず、変わってくるのが自然だ。けれど言葉が違ったとしても何かと向き合うという本質のところは、時代がながれても変わらない。それぞれがいろいろな方法を試して、真に向き合いたいと考え、活動しているのではないのかと思う。


講座の帰りに韓国料理の店に寄った。最後に食べた「チヂミ」がおいしかった!オクラとニラとイカが入っていて表面がカリカリだった。
真面目な講座のあとに不謹慎かもしれないけれど、意義深い話、おいしい食べもの、雪のち晴れの良い一日だった。